財団法人 沖縄県国際交流財団
1992年 海外における産業経済教育文化事情視察研修事業「中国を見て」
経済発展の著しい中国市場に仕事の接点を探す
名護宏雄
今回の、産業経済・教育文化事情に関する11日間の中国視察は、10月7日(1992年)の朝、那覇国際空港を出発。香港入国後、九龍からバスで羅湖の税関まで行き、そこで形式的な香港出国の手続きをすませた。深圳の税関は、人気も少なく殺風景で、わが団体以外の客もなく、簡単な手続で入国する事が出来た。税関を出ると、そこはバスの修理工場の構内と、一緒になっていて、中国の玄関口という感じではなかった。待っているはずのバスもなく、30分近く待機、ようやく200メートル程先の、裏通りで待機中のバスを見つけて、徒歩でバスへ、最初のハプニングであった。
深圳の街は、経済特別区の効果が発揮され、高層ビルが立ち並び、レジャー施設も用意され、観光客で賑わっている。深圳の経済特別区は、1980年からはじまりこの間に、道路や電力や水等のインフラの整備も完了し、現在はホテル建設や企業誘致が、香港を中心とした外国企業との合併で進められている。外資や最新技術を導入するため、特別の税制や優遇措置がとられ、急速に発展し街全体に活気がある。香港ドルが自由に使える反面、一般の中国人は、特別の許可をもらって入ることになっている。街の中は香港の雰囲気と何等変わらない。近代ビルが乱立し、人、自転車、車でごった返し、活気で溢れている。社会主義国なのに人々は商売も上手である。夕暮れ時の大混雑の舗道の片隅で、体重計で商売している。通りすがりの人が時々、はかりの上に乗って体重を計って、金を払って去っていく。体重計の普及の遅れに乗ったうまい商売である。家計のたしになっている様である。ついでに、もう一つ。人通りの多い街角で、木箱の上に電話を置いて、番をしている老人を見た。よく見ると街頭にある電柱から線が引かれている。つまり公衆電話である。夕方になると持ち帰って、また、朝には来るのだろう。無人の公衆電話が殆ど無い中国らしい風景である。
深圳から広州まで観光バスで6時間であった。延々と続く、バナナ畑の中を通って、広州の市内についたのは夜7時、すぐに食事となった。「食在広州」ということで美味を期待したが、応えてくれない。長いバスの疲れと、空腹で、あっというまに夕食も終わってホテルへ。広東迎賓館という、ギンギラギンの超高級ホテルの、隣りの5つ星ホテル、東方賓館であった。入浴後夜店をさがして、30分くらいぶらぶらしたが、探せずにUターンして帰った。夜8時を過ぎても、人、自転車、車が混雑してクラクションや人の声で大変なにぎわいである。めずらしいことに、道端で洗車の商売をしている。道端で車を止め、洗車をしてあげて金を取る5名程のグループである。1人は止める役割、1人は集金、他は洗う人である。値段は聞けなかったが、ずっと前からこの商売をしているようである。きっといい儲けになっているのだろう。その隣では、自転車のパンク修理屋が店開きをしているが、暇そうにタバコを吸っていた。
翌日は、中国国際貿易促進委員会の表敬と琉球館事務局を訪問、その後は市内観光で、中山記念館へいく。8角形をした宮殿風の建物で、視界を遮る一本の柱もなく、高さ47m、直径68.6mの大ホールで5,000人が収容できる。建物の正面には、高さ5mの孫文の銅像があり、観光客も多く、記念写真を撮る場所の確保に苦労した。
広州の人口は資料には342万人となっているが、ガイドの話では800万人で、流動人口が200万人とのことである。地方の出身者は、身分証明が出来ない為、ちゃんとした職業には就けず、日雇い、ウェイトレス、街頭の物売り等をしているのが多い。観光地に行くとどこにでも物売りがいる。香港並みに「10コ、1,000円」を連発している。何とかの一つ覚えの例え通り、何でも1,000円である。飛びついて、買っているのは日本人観光客が主である。ちなみに、中国での平均給与が、日本円の4,000円という。彼らの1週間の給料分を日本人相手の物売りは5分、10分で稼いでいるから必死である。しつこくつきまとって離れようとしない。将来社会問題になりそうな気がする。
広州の国内線ターミナルは、薄暗い中に沢山の人で混雑していた。6時30分に出発、暗闇を2時間ちょっと飛んで9時頃に西安に到着。さすが内陸部だけあって西安は寒い。荷物が出るまで30分程かかった。外国人は我々のグループとヨーロッパの15名程の2グループである。市内のホテルまで1時間で着いたが、夜中の11時近くになり食事時間をとっくに過ぎていた。ホテル内の食事場所を3、4回移動させられ、ようやく最初のレストランの所に戻って、夕食をとることができた。残り物の材料で作った軽い中華料理にありついた。ビールのつまみに手頃なため、飲む事に集中しているのが多い。早めに切り上げて、部屋に集まって飲んだ。各部屋の酒を931号室の大城氏の部屋に集め夜遅くまで、屋冨祖局長の“イチャリバチョーデー その場限り”の迷セリフで盛り上がった。
西安は、紀元前12世紀から2,000年にわたり、都が築かれただけあって名所旧跡が多い。日本の奈良、京都のモデルになったところで親近感のわく古都である。秦の始皇帝の作った兵馬俑にはびっくりである。紀元前221年頃に、陶器製で武士や戦車や馬の表情がどれも多様なものをよく作ったものである。その時代の文化の技術のレベルの高さに感動した。絶大な権力を誇るためとはいえよくも、こんなとてつもない物を作ったものである。しばし、考えずにはおれなかった。
夕食後、夜店見物に出た。案内は現地旅行社の写真担当の女子2人にお願いした。日本語も上手で愛嬌のある、22、3才の女の子である。無愛想な中年男性がゾロゾロ、混雑している人ごみの中をついて行った。地元の皆さんがじろじろ見ている中を、後方まで行き、開いている所に席をとった。1人15元を集めて、食いたい放題、飲みたい放題にしてもらった。ビール15本、中国風串焼き300本で50元程度とのこと、残った100元近くを案内の2人にチップとしてあげ、彼女達をタクシーで帰した。三々五々にホテルへ帰る途中、2元
のビールを5元で買わされてしまった。80過ぎの老人に、見事にマチウタレテシマッタ。中国や東南アジアの夜店は衛生が良くないといわれるが、西安の屋台はラーメンや食べ物は清潔であった。汁を入れる碗にサランラップを敷いて、使い終わったら捨てるので、容器そのものは汚れない。次々に使用しても、清潔な感じがする。中国人の知恵に感心した。
北京は首都だけあって、政治スローガンのタレ幕が至るところに掲げてある。特に中国共産党14回大会の直前ということで、至るところ警備員がはりついていてピリピリしている。夕食後、ホテル行きのバスを途中下車して、7、8名で天安門広場の見物をした。夜景のすばらしさは、天安門事件の時テレビで見たのとは、全然別の場所のようである。沢山の花が飾られ、イルミネーションがさし、アベックも多く、公園も広く明るい。市民の憩いの場所であった。公衆トイレの前に集金人が立っている。1人2角の使用料を払うと、中に入れる。入る直前に80センチに切ったチリ紙を配る人がいる。大便用である。記念にもらって小用をたして帰った。
ガイドの話では、中国の人気のある職業は、貿易関係が1番で、次に旅行ガイド、その次上級公務員で、医者、弁護士は日本のように人気職種ではない。トイレの番人は世襲の人も居るとのこと。翌日は、長い長い万里の長城、華麗な故宮、大理石の天壇、湖と長廊の頣和園とどこも再度、時間をかけてまわってみたい所であった。
最後の訪問地は福州である。ビンコウの下流域に位置し、貿易港として栄えた街である。ガジュマルが街路樹になっていて雰囲気が沖縄ににて、街を行き交う人にも親しさを感じる。昼は、福建省人民政府の表敬訪問で、夜は夕食会であった。円卓テーブルの隣席にフリー画家の許廷干さんが座った。人民日報に紹介されたり、省政府の夕食会にも文化人として、時々、参加しているとのこと。中国の画家も、女性には優しく、我が団員の平良さんへ水墨画の写真の裏にサインをして、プレゼントをした。食事しながら、身振り手振りの会話が発展し、宴会終了後自作の絵を持ってきて、売ってくれることになった。本人希望価格を3~5割引きにしてもらった。好みの絵を安く買うことができた。帰って専門家に値段を聞いたら20~30万円はするとのことである。
福州市立第三中学校を視察した。運動場では行進の訓練中であった。市内のエリート中学で95%は高校へ進学。パソコン教室があり、MSX機が20台並んでいて、ベーシックの授業に利用されている。マシンは日本製で8年前の機種である。校長先生の話ではコンピュータ利用の授業CAIは、全然検討もされてなく、10年程度の遅れを感じた。隣の教室では、女子中学生が6人でアマチュア無線の授業をしていた。外国人との交信の最中で、たどたどしい英語で明るく楽しそうであった。
最後の観察は、福日テレビで副社長の新島さんの説明と工場見学だった。日立と福建省の合併企業で10年目になり、日本企業としては初の合併テレビ工場であり、白黒、カラーを20万台出荷し、4割を米国に輸出しているそうである。中国の部品は質が悪く、香港から輸入したもので対応しているため、値段を安くできず赤字とのこと、意外であった。生産管理は日本方式で、品質は中国でも高く評価されているそうである。従業員とは、文化の違いによるトラブルがちょくちょくあったが、話し合って解決し、今ではほとんど問題はなくなっている。勤務時間は午前8:30~12:00、昼休みは2時間で、午後は2:00~6:00までである。昼食は弁当、家に帰って食べる人、屋台で買う人、いろいろである。長い昼休み時間の過ごし方も、昼寝の人、ゲームをする人、日本とは違いすぎだ
福州のおみやげは7桁のそろばんにした。上2段、下5段である。使い方は、最上段と最下段を利用しなければ日本式と同じで問題はない。中国式使い方は定かではない。値段は20元と安く、コンピュータのルーツを見る思いがした。
今回の研修参加の目的は、
① 中国の現状をマスコミや伝聞ではなく直接、自らの肌で感じ、正しく理解する。
② 中国5,000年の歴史の一端と沖縄の関わりを見つける。
③ 経済発展の著しい中国市場に仕事の接点をさがす。
であった。3つとも満足する事ができた。この経験をこれからの会社経営に、生かして行きたい。